学校や会社だけでなく、趣味の世界にまで付きまとう「グループ」や「仲間」という世界。そこに嫌気がさして、「できることならばそのグループから離れたい」と悩んではいるものの、決心がつかずに抜け出せないでいるという方も多いかもしれません。以前の私もそうでしたから、その辛い気持ちやモヤモヤした感じは、とてもよくわかります。
そんな私も、「ある考え方」を持つことによって「自分のためにならないグループ」からあっさりと抜け出すことができ、精神的にとても安定し充実した日々へと変化しました。
「嫌だと思っているグループから抜けたい!」と思っているけど、なかなか一歩踏み出せないあなたの「原動力」になることを願い、お話をさせていただきたいと思います。
「和」と「仲間」の違い
私たちは子供の頃から、「和を重んじること」や「仲間を大切にすること」を常日頃から教え込まれてきました。
ところで、「仲間」とか「和」ということばをここで使用しましたが、あなたはこの二つの違いについてお考えになったことはあるでしょうか?
古来から受け継がれた「和」の意識
「和」というのは「調和」とか「唱和」などのように、「周囲との同調」とか「まわりに合わせる」というという意味合いで使われることが多いようです。「輪」も同じく「わ」と呼びますが、人間同士で輪を作るという意味では同じような意味合いがありそうですね。
日本古来から先人は「和」の精神を大切にしてきました。これはとても美しく、尊い考え方であることは確かです。日本という海に囲まれた島国で、周りとの「調和」を上手く図りながら先人たちは過ごしてきました。
反対に、村の中で調和の取れない人間がいると、「村八分」という制度で追い出されるなんていう歴史もありました。(私たちの知らないところで今でもこの「制度」は残っているようで、先日もある村の男性が「村八分にされた」と裁判で不当性を訴えたという例もありました。)
同じ「ムラ(群ら)」内なんだから、「仲間意識」を持って過ごさなくてはならないのだ・・・と。
こうして日本人の中には、いつしか「和(輪)」と「仲間」を同義語のように考える人が多くなってしまいました。「協調性が大切だから、仲間との関係を維持しなければならない。」「気が合わない人も仲間なんだから・・・。」
よく考えてみると、これってちょっと変じゃないですか?
「仲間」って何だろう?
そもそも気が合わない人は仲間ではありません。そしてそれゆえに仲間との関係は無理をして維持しようとするものでもありません。
仲間とは、気が合う人。ストレスを感じない間柄。居心地のいい関係。同じような考え方を持って、同じ方向に共に進んでいける存在。「いつまでもこの関係を続けたい」と真から思えるのが、本当の仲間の意味のはずです。
仲間は、自分にとって「利益がある相手」とも言えます。利益といってもお金とかそういった類のものではなく(結果的にお金を産み出すことはありますが)、一緒にいると自分を高めてくれたり、同じ目標(目的)に協力して向かっていってくれるという意味合いです。
「グループ」といった「単なる集まり」にすぎない集団意識とは全く異なる、とても意味深く絆の強いつながりです。
「和」と「仲間」は違うもの
しかしながら「和」と「仲間」を同義に考えてしまうと、少々面倒なことになってしまいます。そして同義に考えてしまうことにより、精神的に健康的ではなく、また「グループを抜けたくても抜けられない」という葛藤に襲われる原因にもなってしまいます。
何度も申し上げたとおり、私たちは幼い頃から「和」を重んじることの重要性を教えられてきました。そして私たちもそれを当然のこととして、後世に伝えようとしています。だから、「和を壊す」ということに対して強烈な恐怖感と遠慮を感じてしまいます。
だから「グループを抜ける」ということは「和を壊す行為」であり、人によっては「仲間を裏切る行為」とも捉えてしまいます。だから、なかなかその「グループ」を抜け出せなくなってしまう。だから気が合わない人たちと、ズルズルと関係を続けていってストレスを感じてしまいます。果たしてこれを健全な関係性と呼んでいいでしょうか?
ポイントは、こちら側から相手に合わせていく「和」と、本当の意味での「仲間」というのは全く別物だということを理解することです。
「単なる集まり」からは遠慮なく抜け出そう!
はっきり言いますが、もしあなたがその「グループ」の中で居心地が悪かったりストレスを感じたりしている場合には、「和」を重んじるばかりにあなた自身を犠牲にしてしまっています。
私自身も、長年「和のしがらみ」に苦しめられてきました。たとえそのグループの中に、自分とは波長の合わない人間がいようとも、わざわざ自分から同調することで場を丸く収めようとばかりに腐心していました。その集まりはもはや私にとって居心地のいいものではなく、ストレスが溜まるばかりの「地獄の場」でした。しかしその我慢の先には何の利益もありません。そこに自分を高めてくれたり、共に何かを成し遂げようとする人間がいないからです。
そうして悩み抜いた末に、思い切ってそのグループを抜け出しました。そのグループは居心地は悪かったものの何となく「仲間っぽい体裁」を保っていたので、「自分のまわりから仲間がいなくなる」という、(今思えば的外れな)錯覚にも陥りました。
世界は広い!仲間の可能性は無限大!!
鳥になった気分で、自分の家の屋根を見てみましょう。見えましたか?ではもうちょっと浮上して、町内を見てみましょう。たくさんの家が見えますね。もっともっと上昇して、日本全体を見渡してみましょう。この狭い日本に、1億人以上の人が暮らしているのが見えます。
あなたが苦痛に思っているグループは、ほんの数(十)人のちっぽけな集まりに過ぎません。あなたが思い切ってそのグループを抜けたところで、日本にはまだ1億人の(仲間候補)が残っています。世界にまで目を向ければ、それこそ無限大に可能性は広がります。
もしも今いるグループが苦痛であるならば、あなたに実益がない限りスッパリと抜け出しましょう。あなたの健康上もよくないですし、時間ももったいないです。
私はそういった実益のないグループを抜け出すことで、自己表現がとても豊かになりました。これまで「和」を乱すまいと抑えていた自己を、グループを抜けることで誰に遠慮するでもなく表現できるようになったからです。
自己表現が豊かになると、共感できる人が自然と集まるようになります。こういった人たちと交流して本当の意味での「仲間」となれば、あなたの健康上も実益上にも、とてもよい関係となります。
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